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中国、韓国、日本の子どもたちによる絵地図ワークショップに見る表現活動の比較

2012/05/16 21:38

 

 

今、子どもたちが直面しているさまざまな課題について、ICLCでは絵地図分析という参加型のワークショップを、これまでさまざまな国や場所で開催してきた。最近は、原発で被災した避難者が生活している福島県のいわき市で、5月と6月の二回にわたって絵地図ワークショップ行った。この詳しい内容について、ICLCで報告したいと思っているが、今回は日本、韓国、中国の子どもと比較してみて気がついた点を報告したい。これはほんの一部の報告であり、絵地図ワークショップの回数や対象者を変えて、なんども行ったわけではないので、厳密な意味では一般化はできないが、絵地図ワークショップという「自分自身の表現」について、痛感した考えを報告してみたい。

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(1)昨年、韓国のソウルにある梨花女子大学で、約30名の子どもたち(小学校2年生から中学校1年生まで)を対象に絵地図をワークショップを行ったとき、まず驚いたのが、ワークショップを開会を宣言すると、すぐに子どもの中に「ワークショップには参加したくない」と手をあげて主張した子どもがいた。4-5名もいて、「ワークショップより、家に帰って自分の勉強をしたい」と言うのである。ワークショップについてなにも知らないのである。

みんなに共通のテーマを話し合ってほしいと言ったところ「一緒に話し合いたくない」「文章も書きたくない」と自分の気持ちをそのままに主張するのであった。4グループの中で、1グループは完全に瓦解しており、さらにそれに追随しようとしたグループもあった。能力開発に似たようなものをワークショップでやるものと勘違いしたらしい。私の話しは日本語であり、女子学生の通訳を通じて語りかけているので、みんな興味もないらしく、いかにも両親や大学から土曜日、日曜日の空き時間に動員をかけられたという感じである。

そこで私は言った。「参加したくない人は、参加しなくてもいいから。無理をしないように。これはみんなの人生を考えたり描いたりするワークショップです。受験勉強ではありません。みんな自分の好きなようにしてください。明日も来なくてもいいからね」と答えたところ、みんな急に静かになった。みんな自分の人生には興味があるのだ。


 

それから絵地図ワークショップが始まったのだが、驚いたことに激し反対を主張していた彼らは自分の人生や世界について、もう夢中で表現し始めたのである。かれらの興味と一致したのだ。ワークショップから脱落すると見られていた4-5人は次の日には、全員がそろったのには驚いた。絵地図のワークショップが役にたつし、なによりもおもしろかったらしい。

私はこのとき、韓国の子どもたちが自由に自分の気持ちを表現するその大胆さに驚いたのであった。日本の子どもが、果たしてこのように外国人に、自分の気持ちを正直に表現するであろうかと・・・・おそらく何も言わずに次の日から欠席するのが関の山だろう。日本人という講師に向かって、自分の気持ちを素直にぶっつけることができるその力にまずびっくりしたのであったが、次の日からは自分で興味をもったら一生懸命に取り組むその姿勢にも驚かされたのである。韓国の子どもたちにとって、自分と言う存在のアイデンティティを必死に追い求めているように思えた。

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(2)一昨年、中国の南京師範大学で、幼稚園から一般の主婦までを対象とした絵地図ワークショップを開催した。出来上がった絵地図をまず幼稚園の園児たちが、みんなの前で説明し始めた。それはそれぞれのグループで自由に描きあげたもので、天衣無縫ともいうべき線、色、構図であった。おもしろい!

私は絵地図の対象者は、10歳以上を考えていたが、津田櫓冬さんの指摘もあって学校教育の鋳型に入る前の園児たちの心理を自由に知りたいこともあって、園児を対象に表現活動をやってもらったのは、的中した。つまり一人っ子政策の中で、中国の子どもたちは自由な世界を生きており、余りにも大事に育てられている。そして問題も出ているのではあろうが・・・・。

もちろん南京師範大学付属の幼稚園だから、優秀な子どもたちが多いのだろうが、実に彼らは、くったくなく、自分の興味や中国の将来などについても思い切り表現するのであった。これら園児の説明が終わったあとに、今度は大人たち(主に園児につきそってやってきた母親たちー30代が主流)のグループと南京師範大学の大学院の学生プループたちも、みずから作った絵地図を発表し始めた。

すると、園児たちがすぐに挙手をして大人に質問するのであった。大人たちの絵地図はさまざまな社会問題も描き出していた。中国における就職活動が難しいこと、男女の差別が厳然として存在すること、一人っ子で育てられた学生たちは、親からの期待を一身に背負っているので重圧がすごいことなどなど文章と絵とデザインで描きだした絵地図について、園児はそれぞれなんの遠慮もなく鋭い質問を投げかけるのであった。質問をするように依頼されているようには思えない。感じるままに考えるままに自由に発言していく。


例えば、女子学生が就職における男女差別について話をすれば、ある園児が「この国では、差別をしてはいけないっていっているのに、どうして?」というような厳しい質問である。そうした質問が出るたびに、会場では苦笑が起きると同時に、発表者はいかにも困惑した。つまり園児たちは、まるで小さな紅衛兵のように鋭い質問を容赦なく投げつけるのであった。私はこれをみて、ここまで自己表現や自己主張する子どもたちとは、実は全体的に熾烈な競争の中に置かれているのではないかと痛感した。これは就職活動だけではなく、これはすべての分野での生き方に通じるのではと思った。韓国よりもさらに激しい自己主張がある。中国とは、自己主張や自己表現をしないと生きていけない熾烈な世界で、これがいい意味で展開する場合には社会の発展をうながすが、極端な競争世界となって表われるときにはある意味では表面的なかたちの追求が優先されていくような気もする。



(3) 数年前、日本の小学校で行った絵地図ワークショップでは、みんなそれぞれ生き生きした絵地図を作っていた。特に6年生の女の子はまるで花が咲いたように夢や希望を、色とりどりの模様でお店やさんなどを楽しく描いていた。花や島などはカラフルな色で飾られた。しかしA君は、25名のクラスの中でひとりだけ反抗していた。彼は「俺はなにもしないよ」と言った。そしてワークショップで楽しんでいる他の生徒にいろいろなものを投げつけては邪魔をしていた。その日のテーマは:私の人生マップーそれぞれの人生について、自由に夢でも希望でも、あるいはそれを阻害する問題でも描き出して、それぞれが人生設計をすることであった。 

私はA君に言った。「やりたくなかったらやらなくてもいいからね。でも見てごらん。他の者は、それぞれ一生懸命に自分の人生を考えているでしょう。A君も人生を考えることはあるのかな!なんでもいいから思いつくことを表現してごらん」と言った。すると3時間目から猛烈な勢いでA君は自分の人生マップを書き始めた。


そして出来上がった絵地図には、まず「学校を破壊したい!両親の夫婦喧嘩を見たい!担任の教師を追放したい!この世は金!世界征服が夢」などと書き綴った絵地図を完成させた。そしてA君はその絵地図を持って帰って、台所に張ったという。両親に見せようと思っていたのだ。

 



その全体のデザインをみると彼の現在の学校や家庭での内面がすべて滲み出ているような色調であった。これを見て私は日本の学校や家庭の中で追い込まれているA君や、それをとりまく切実な環境を痛感した。こうした状況に、現場の教師たちはどのように対応しようとしているのだろうか? 実はこれはA君の叫びなのだ。よくよくの思いがあって表現したのだ。これは相当に追い詰められた子どもの心理をよく表している。

 



また中学1年生の絵地図を行ったときは、120名以上の大世帯だったが、一人だけ行き止まりの路線図で、自分の人生や生活を表現している子どもがいた。学校でみんなから差別をうけている様子が描かれており、担任の教師から聞いたところ、その生徒は、両親がアジア人と国際結婚をしておられるようで、日本語の表現力をよくクラスでからかわれているらしことがわかった。「ぼくの背後で、僕の日本語を笑っている声が聞こえてくる」と。彼はこういう表現で、行き止まりの人生路線図を描いたのだ。その子はやがて、転校していったと聞いた。彼の気持ちをきちんと受け止める環境がなかったのだ。日本の小学校では、教師は余りにも忙しすぎて、それぞれの子どもたちへの配慮や指導などはできていないのだ。


私はこうしたワークショップをしながら、子どもたちの叫びを思いきり文章や絵やデザインを通じて、表現活動を考えている。それを完成したとき、子どもたちはさまざまな発見をするに違いない。そこにはフラストレーションの爆発であると同時に創造の芽生えも感じる。たった一枚の絵地図でも見るものによっては、さまざまに解釈できる。自分の絵地図をどのように解釈するか、そこに人間の生き方の姿勢がでてくるからだ。そしてそこから学ぶものは余りにも多い。学校を破壊したいという子どもは、実はあるべき学校像を真剣に探しているとも言えるのだから。

韓国や、中国や、日本などでこうしたワークショップをやってみて、日本の子どもたちの隠された表現力を思い切り吐き出せながら、自由で創造的な人生や世界を構築するために、今後も活動していきたいが、日本の子どもたちの表現力は平均的には、余りにもシンプルでおとなしいのを感じる。しかし中には、鋭い問題提起をしている子どもたちの存在もある。これからの社会は、平均をそこまでも追求するのではなくて、問題提起力や表現力がますます重要になってくるだけに、そうした子どもたちのエンパワーメントをつけるためにも、絵地図分析という総合型の参加ワークショップを内外で強化していきたい。 問い合わせは: iclc2001@gmail.com

 

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ヒバクした太平洋の生き物からのメッセージ

2012/05/16 20:13

 

 2011年12月7日開催の「世界ヒバクシャ展緊急フォーラム」にて上映

 

 


2011年12月7日に行われた「世界ヒバクシャ展緊急フォーラム」にて上映した、田島伸二さんの絵本『大亀ガウディの海』と出版活動を紹介をさせて頂いた動画です。今回のフォー­ムにあわせて私が急遽制作をしたものですがご覧頂ければ幸いです。 

ー製作者: 福田良典

 

 

 

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国境を越えての共同出版が歴史上初めて、インドとパキスタンの絵本作家によって完結した!

2012/05/16 16:26

 

アジアの平和絵本の共同出版の第一歩が始まる!

 

これまで13年間続けてきた「南インドの平和絵本の共同出版」プロジェクトで出版する絵本がようやく4冊まとまって、インドの出版社から刊行されました。この出版社はインドの最大の出版社で、プロジェクトのインド側代表が、この出版社の前編集長だったのです。そして彼女は、国立マハトマガンジー平和記念館の元館長も務めています。

このICLCプロジェクトは1998年から始まり、2001年には東京で5カ国、2004年にネパールで4カ国による編集製作会議を開いて、編集してきたものです。英語版で出版して、それぞれの言語で翻訳出版するものです。その中の1篇の物語(絵本の文章)を次号にご参考に掲載します。平和絵本というのが、こういう形で国境を越えて、子どもたちに伝わっていけばいいのではと思っています。

なにしろインドとパキスタンの参加者が共同で、子どもの絵本を出版するというのは世界に例はありません。これら4冊はそれぞれ「国境の意味とはなにか」というような意味をもった絵本ですが、初めてプロジェクトが,形を見せてきたので大変うれしく思っているのです。

 

 




この共同出版や、パキスタンのラホールで、女子大学で教授と学生と共同の環境に関する絵地図ワークショップを行いましたが、その時完成した絵地図をお送りします。http://tajimashinji.at.webry.info/200907/article_4.html 

これはパキスタン側の参加者が製作したものですが、近い将来はインドで、そして次は両国の大学やNGOで行う予定です。こうした取り組みが国境を越えて行われることは、イスラムやヒンズー教など宗教による摩擦や政治的な対立で衝突する世界情勢の中で、ある具体的な方向性を作れると思っています。そうです。「子どもの心の中に、平和の礎を築くこと」これが今日ほど求められている時代はありません。

こうしたプロジェクトを進めていく中で視野に入っているのは、イスラエルとパレスチナの学生やNGOが共同で、「子どもたちが求める平和な社会」に向けての絵地図を共同作成して、アクションを実行していくことです。夢のように見えても、必ずこうした平和絵本のようにやり遂げて見せますね。それが生きる意味ですから!!

 2004年1月、ネパールのカトマンドゥーにて、南アジアの平和絵本共同出版会議を開催しました。

ICLCの主催、協力団体はユニセフと国際交流基金でした。これはICLCとユニセフ関係者

ネパールのNGO関係者との合同の編集会議を行いました。

 

 

 

 

また日本、中国、韓国の水、河川、海の環境問題を生物の視点から、絵地図を作ることになりました。幸い韓国の財団が協力をしてくれたので、韓国から2人の専門家を12月に東京に招いてセミナーをやるこおtができました。環境物語を語る夕べも同時に開催しました。日本の水俣の経験などを中国韓国とも共有しながら、私たちのこれからの海洋の環境について3カ国でアクションを作っていく予定です。



志をますます高くして、懸命に心をこめてプロジェクトを進めているのですが、最大の課題は資金です。、どなたか資金協力をしていただければと心から願っています。iclc@iclc2001.org

また英文と和文で、YOUTUBEにて ICLCテレビをは実験的に進めています。お時間があれば見ていただければ幸いです。

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普天間基地のオスプレイ機が、グアムに移転することになる日

2012/05/16 15:07

 

7月から沖縄の普天間基地に配備がされようとしているオスプレイ機は、これまで度々重大な事故を起こしてきた。こうした事故機の配備は、普天間基地の継続とともに絶対に許してはならない基地の拡大化である。

 

普天間基地の周辺には学校や住宅地などが隣接しており、こうした経歴をもつ新型機が配備されることは日米両政府が重大な責任を有するということを意味している。日米両政府は、7月以降、基地機能の強化という名目で、オスプレイ機を強行配備するであろうが、この機は必ず重大事故を起こすだろうと思える。そして事故を起こした後は、必ず全面的にグアムへの撤退となるであろうが、これは100%誰もが不安の中で予測していることである。

 

大きな事故が予測されているのに、なぜこれを防ぐことができないのか?!宮の森小学校で起きた戦闘機の墜落事故の悲劇のように、これが沖縄が直面している最大の課題である。

 

 

ウィキぺディアによると事故の経緯は以下の通りである。

 

 

1回目の事故

1991年6月11日に試作5号機が初飛行時に左右に揺れながら離陸後、数mの高さから大きく機体を傾けてナセルとローターが接地し、機体は転覆して地上へ落ちた。火災も起きずパイロット2名は脱出して軽傷で済んだが、機体は失われてしまった。墜落原因は、飛行制御システム (FCS) の3つのロールレイト・ジャイロの配線の内の2つが逆に接続されていたミスと判明し、3ヵ月後に試験飛行は再開された[2]

2回目の事故

1992年7月に試作4号機が気候試験でエグリン空軍基地からクアンティコ米海兵隊基地へ飛行中の着陸直前に右エンジンナセルから出火した。制御を失った機体はポトマック川に頭から落ちて、乗っていた海兵隊員3名と民間人技術者4名の計7名全員が死亡した。この墜落の影響でFSD機が全機飛行停止となった。事故原因は、潤滑油が漏れてエンジンナセル内に溜まっていた状態で着陸のためにナセルをティルトしたのでオイルがエンジンの高温部に触れて発火したものとされた。

エンジンの一方が停止しても飛行が継続できるように左右を結ぶクロスリンク機構が備わっていたが、火災の熱によって複合素材製のクロスシャフトが強度を失い破壊されたものとされた。潤滑油漏れ対策が完了するまでの11ヶ月間、飛行停止となった[2]

この2つの事故はいずれもV-22自体の欠陥であり、残り3機には改良が加えられ1993年夏に試験が再開されたが、この事故によって2機が失われてしまい、計画に影響を与えることとなった。

量産の決定

このような事故もあったが、技術的問題は殆ど解決されたとの結論に至っており、V-22は1994年に量産が認められた。軽量化や製造の効率化などの製造費用の削減を含む再設計が行われ、1995年量産試作機 (EMD) が4機製造された。最初の7号機の初飛行は1997年2月5日に行われた。

1997年4月には低率初期生産 (LRIP) が承認され、まず5機の生産が決定し、2000年度までにさらに25機の生産が認められた。1999年4月には量産初号機が初飛行し、2000年までには艦上運用試験などが実施され、空軍仕様のCV-22BもEMD7号機と9号機を改修して試作試験が開始された。

低率初期生産段階での事故 

3回目の事故

2000年4月8日に14号機が夜間侵攻での兵員輸送を想定した作戦試験時に墜落事故を起こし、乗員4名と米海兵隊員15名の計19名全員が死亡した。事故機は他のV-22に後続飛行しながらナセルを立てて着陸進入状態にあり、前方機が減速したので衝突を回避するために急減速し急降下を同時に行った。操縦不能になる直前には、対気速度30kt以下で毎分約2000ft(610m) で降下していた。規定の降下速度は毎分800ft(244m) であったので2.5倍の急激な降下であったため、自らが生み出したVRS(vortex ring state、ボルテックスリングステート、セットリングウィズパワー、渦輪状態)と呼ばれる下降気流によって揚力を失ったための墜落事故だとされた。事故の再発防止策として、危険な下降率となった場合にはコックピットに「Sink rate」と音声で注意しながら警告灯を点灯する装置が加えられた[2]。その後も試験は続けられ、運用評価を2000年8月に完了した。

4回目の事故

2000年12月11日に海兵隊訓練部隊VMMT-204部隊所属の18号機 (MV-22B) が、夜間飛行訓練中に森林地帯に墜落し、搭乗していた海兵隊員4名全員が死亡した。事故を受け全機が飛行停止になった。

事故原因は、機体の機構的な問題とソフトウェアの問題、そしてパイロットが不適切な操作をしたためという、複合的な事象が重なって起こったものとされた。まず左ナセルの油圧配管が振動によって配線と擦れあい、配管より高圧作動油が噴出した。

 

設計通り油圧システムの安全装置が自動的に作動してシャットオフ・バルブを閉鎖したため、3重の油圧系統の1つを他より切り離して安全に飛行が継続できるようになった。主飛行制御システムは油圧系統の異常を知らせる警告灯を点灯させた。この時、操縦士は着陸に備えてナセルを回転させている途中であり、主飛行制御システム (PFCS) の警告灯の点灯を知って、手順に従ってこれを停止するリセットボタンを押したが警告灯は繰り返し点灯した。PFCSのソフトウェアはこの時点で無用な警告を繰り返すというミスがあった。パイロットは警告灯に気をとられて操縦がおろそかになり誤って地上に墜落させた。この事故原因が明らかにされた後、油圧システムとPFCSの改良が施された

2002年5月に飛行停止は解除された。

 

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沖縄の普天間基地は、国外(グアム)への移転が最上である!

2012/05/16 12:36

 

 鳩山元首相が、復帰40周年の記念式典で、「 『普天間は、最低でも県外』という気持ちを果たさなければ、皆さんの気持ちを十分理解したと言えない」と述べたそうだが、この発言を聞いても、これほど能天気というか罪な政治家というかあきれる政治家はいないのではないか?およそ祖父の鳩山一郎とは質量ともにケタ違いの軽さである。

 

もし鳩山がここまで、しゃべるなら彼は、政治家として信念を命を賭けて徹底的に行動すべきであるが、鳩山はなにも具体的には行わず、ただ口先だけで、「沖縄の人々のことを思っています」と述べているに過ぎない。こうした政治家の思いつきの言葉で、これまでどれだけの人々が、歴史の中で、路頭に迷ってきたことか。平和を守ると約束しながら、戦争を押し進めた過去の政治家と大差はない。口先では鳩を表現しながらも、現実には爆弾や剣を握った鷹とと全く変わりない存在なのだ。

 

鳩山がなんと叫ぼうと、「沖縄にはもう米軍基地はいらない」これは日本国民の全体の意志である。もっとも本土の人々は、沖縄の人々の意識の三分の一ぐらいしか米軍基地の存在を意識していないようだが、これからをどう生きるかという日本人の生き方としても、米国に基地撤去を要求することが今後の重大な課題であるのは当然である。日本は米軍の奴隷ではないのだ。そのためにも差別的な基地協定の運用の改善ではなく、廃絶を要求する。

 

普天間基地は、国外のグアムに移転するのが最も相応しい!」それが日米にとっても、最も必要な関係となってくる。また鳩山がほんとうに信念をもって、国外移転を叫ぼうとするなら、その証拠を見せて欲しい。証拠は口先ではなく、両手足から出すものである。今後、鳩山の口先から証拠を見せたら、その舌は、昔話の舌切爺(したきりじい)さんのように即刻切り取るのが最も相応しいだろう。もっとも今の国会には、舌切をしなければならない爺さん、婆さんがひしめいているが・・・・・

 

野中広務元自民党官房長官が、沖縄の会場で彼に向って「男は恥を知るものだ。のうのうと沖縄に来て、県民に泥をかけるのか」と苦言を呈したと言うが、これは別に男に限らない。女性でも人間でも恥を知るものだ。人間は恥を知らなければいけない存在である。しかし民主党は、政権を取って以来、マニュフェストという空中楼閣に言葉を撒き散らしては、恥を知らない政権運営を欲しいままに行ってきた。これは、すべて自民党の多年にわたるダラカン経営から学んできた優等生であり、一朝一夕で作り上げられたものではないだけに筋金入りだ。

 

沖縄を含め、日本の米軍基地は全面的に返還すべし!その上で日米間を含めての新しい北アジアの安全保障条約が必要だと思える。これは北方領土の返還どころの話ではない。

 

戦後、70年も過ぎようとしている日本の領土である沖縄を今すぐ、全面返還することから始まる。-これは21世紀の日米間にとって最上の策であることは間違いない。

 


   

    7月に普天間基地に配備されるという最も事故が多発するオスプレイ機

 

 

鳩山氏また「県外に」…野中氏が直接「恥知れ」

 

復帰40周年を迎えた沖縄では、民主党政権が対沖縄政策繰り返した稚拙な対応の影響が今なお尾を引いている。1996年に日米で合意された米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設も実現していない。野党時代から安全保障政策を軽視してきたツケが重くのしかかっている。

 

 民主党の鳩山元首相は15日、宜野湾市内で講演し、普天間飛行場移設について、「『最低でも県外』という気持ちを果たさなければ、皆さんの気持ちを十分理解したと言えない」と述べ、県外・国外移設論に再び言及した。同党OBの上原康助元沖縄開発庁長官も同市で開かれた復帰40周年の記念式典会場でのあいさつで、野田首相に対して「沖縄に、新しい米軍基地を陸にも海にもつくることはおやめ下さい」と求めた。

 

 

消費税率引き上げや環太平洋経済連携協定(TPP)と同様に、民主党代表である首相の意向に公然と異論を唱えるおなじみの光景だ。特に、安保政策をめぐる意見対立に関しては、同党が旧社会党出身者やリベラル系議員を抱える「寄り合い所帯」で、野党時代からきちんと集約できていないことも拍車をかけている。

 

 自民党政権が決めた普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設に関しては、2006年に当選した仲井真弘多県知事も当初は大筋で容認し、政府と県の間で沖合にどれだけ移せるかの調整に入っていた。民主党は県外・国外移設を目指すとした「沖縄ビジョン」をまとめていたが、政権獲得を意識し、09年衆院選政権公約には盛り込まなかった。

 

 だが、鳩山氏が09年の衆院選前に「最低でも県外(移設)」と沖縄で訴え、県民の辺野古移設反対論に火を付けた。衆院選勝利後、鳩山政権は言葉通りに県外・国外移設を模索したものの、結局は辺野古案への回帰を余儀なくされ、沖縄県民の反発と日米関係の悪化を招いた。

 「男は恥を知るものだ。のうのうと沖縄に来て、県民に泥をかけるのか」野中広務元官房長官は15日、記念式典会場で鳩山氏を見かけて直接苦言を呈した。

 

(2012年5月16日08時03分  読売新聞)

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働く人が被曝し、苦しんで死んでいる限り、原発は平和利用ではないんです。

2012/05/16 09:05

 

 

平井憲夫さんの「原発と子どもについて」最後の叫び-1996年
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

 

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1996年の北海道での平井さんの講演から


「・・・・・・・・・・・最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ300人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、24時間被曝している。

原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら300人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。


これは決して、原子力防災の8キロとか10キロの問題ではない、50キロ、100キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。みなさんには、ここまでのことから、原発がどんなものか分かってもらえたと思います。チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は怖いなーと思った人も多かったと思います。でも、「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くても仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃないでしょうか。

でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。安全だから安心しなさい」「日本には資源がないから、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。


原発は確かに電気を作っています。しかし、私が二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験したことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ動かないものだということです。それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、心をズタズタにされる。出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいるんです。

みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。私のような話、働く人が被曝して死んでいったり、地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なんかではないんです。それに、安全なことと安心だということは違うんです。原発がある限り安心できないのですから。

それから、今は電気を作っているように見えても、何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大な電気や石油がいるのです。それは、今作っている以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。だから、私は何度も言いますが、原発は絶対に核の平和利用ではありません。


だから、私はお願いしたい。朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り返しのつかないことが起きてしまうと。これをどうしても知って欲しいのです。

ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。原発がある限り、世界に本当の平和はこないのですから」




平井憲夫さんについて

1997年1月、ガンで逝去。(58歳)

1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。



 

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カマボコは日本人のお母さんの思い出

2012/05/15 14:28

 

 

アジア・太平洋地域15カ国から絵本の代表的なイラストレーターを東京に招聘してセミナーを開催したことがあった。いずれの参加者も個性は強く、実に楽しい方ばかりだった。英語のコミュニケーションはみんなうまくはなかったが、絵を通じての豊かなコミュニケーションは、実に愉快で有意義なセミナーであった。

初日のこと。数カ国の参加者と連れ立って昼食に一緒に行った時、人民服を着た中国から参加者のT氏──彼は国民的に著名な漫画家でもあるが、テーブルの上に並んだ食べ物を興味深そうに見つめながら「ちょっとお聞きしますが・・・・」とたどたどしい英語で尋ねてきた。「・・・・日本の食べ物に、小さな板きれの上に乗っているおいしい食べ物があるそうですが、いったい何でしょうか?」と尋ねてきた。「ええ、小さな板切れに載った美味しい食べ物?」 

私は一瞬とまどったが、板の上に載っている日本の食べ物?というのは「おそらくカマボコだろう」と思って、「ひょっとしてカマボコですか?」と答えると、彼は破顔一笑、「そうです。そうです。カマボコです。思い出しました。」といかにもうれしそうに大声で答えた。そこで昼食後、私は早速近所のお惣菜屋さんを紹介した。彼はカマボコを何本も買った。 
 
3週間のイラストレーターのセミナーも終わって、帰国準備をしているT氏を見送りにホテルに訪れると、氏は熱っぽい目つきでじっと私を見つめたあと、1通の手紙を差し出した。私は驚いた。「お礼を言うのなら、口で言えばいいのに・・・どうして手紙をくれるのか?」とも思いながら、すぐに手紙を開封してみると、すると文面には、セミナーでの感想やお礼がていねいにつづられてあったが、英語の手紙の終末部分に驚くことにカタカナ文字のまじった次のような文章があった。

For the sake of parting, I think I have to tell the secret of Kamaboko to you. Kamaboko is a memory of my mother. 
ワタシ ノ オカーサンワ ニホンジンデス。
I am very proud of that. I can write such words in Japanese. 
Farewell to my second native country!
Farewell my dear sisters and brothers! 

( 訳 )
「・・・・別れに際して、私はカマボコの秘密をあなたにお伝えしたいと思います。実はカマボコは、私のお母さんの思い出なのです。ワタシ ノ オカーサンハ ニホンジンデス。このことを私はとても誇りに思っています。私はこのぐらいの日本語は書けるのです。さようなら、わたしの第二の故国よ!さようなら、わたしの兄弟姉妹たち!」

私は驚いてしまった!
「あなた日本語が書けるのですね?お母さんは日本人だったのですか?」
私は驚いて尋ねたが、T氏はただにこにこ笑うばかり。表情から察するに詳しいことは余り話したくない様子。しかしようやく納得がいった。彼がなぜセミナーの期間中、いつもなつかしそうな顔つきや、あるいは何かしら悲哀の混ざった複雑な微笑を浮かべていたのか、その理由の一端が、この手紙で一瞬にして理解できた気がした。 
「Tさん、なぜもっと早く言ってくれなかったのですか。お母さんが日本人だったら、あなたは、日本での親戚とも会うことができたわけですし・・・・・もっと早く言って下さったら良かったのに・・・・」と問い質しても、彼は相変わらず恥ずかしそうに笑うばかりだったが、おもむろに机の引き出しから1冊のスケッチブックを私に差し出して見せてくれた。 

それを開いてみると、今回のセミナーの思い出は、彼のユーモアたっぷりの漫画ですべて克明に描かれてあった。例えば、日本のセミナーに参加が決まったとき、中国の彼の家族全員で万歳を繰り返しているさま、日本へ出発するとき、北京空港で家族が別れを惜しんで涙を流しているさま、T氏が大きな鶴の背中に乗って(おそらくJALの飛行機で来日したのだろう)に乗って富士山の上空を飛んでいるさま、空港での親切そうなスタッフの出迎え、華やかなセミナーでの開講式等々、実に細やかでユーモアたっぷりのタッチに描かれた漫画記録であった。

そしてその中には、T氏が宿泊しているホテルの天井に、まるで枕(まくら)のように大きなカマボコをロープでつるして、それに必死でかぶりつき、ぶらさがりながら食べているT氏の漫画もあった。そのユーモラスな姿を見て思わず吹き出してしまった。しかしその漫画は、彼の日本人のお母さんに寄せる心情をいかにもありありと表現しており、目頭が熱くなるのを覚えた。日本人のお母さんが恋しかったのだ。 

彼は話を続けた。カマボコのことは、子供の頃、日本人の母が語ってくれたものという、彼女はいつも日本の生活を思い出してなつかしそうに語っていたそうだが、「その母は子どもの頃に亡くなってしまいました」としんみりと語った。T氏の生まれは1931年という。1931年といえば、ちょうど満州事変の勃発した時期。日本の本格的な中国侵略の始まった年である。 

どのような背景で、T氏の中国人の父と日本人の母が結びついたのか知る由もなかったが、とにかく氏の漫画は、これまでのT氏の人生が辛酸に満ちた生活であったこと、そして彼は母の愛情を感じながらもたくましく中国で生き続けてきたこと、日本に対する深い思いを、ユーモアをもって深く感じさせるものであった。そこで私は、北京で一緒に住んでいるという氏の子供たちのためにさっそくカマボコをたくさん買い求めて、帰国前のT氏に贈った。

それから3年後、私は、ユネスコの会議への出席で北京を訪れることがあった。そこで早速、T氏に連絡をとって、夕闇迫る民族飯店の私の部屋に彼を招いて、さらに話をする機会があった。そこでT氏の両親について、そしてカマボコの秘密を聞いたのであった。彼はすべてを語ってくれた。 
「お父さんは、その頃、医学を学ぼうと日本へ留学していた医学生でした。お母さんは日本人の看護学生、学校で知り合ったそうです。二人は周囲の強い反対を押し切って結婚したそうですが、満州事変の勃発した1931年には一緒に中国へ帰ったそうです。そしてT氏の父は日本の侵略戦争に反対して軍医として戦場に赴いたそうです。 

北京に残されたお母さんは、子どもたちを育てるために、それはそれはいろいろな苦労をしたそうです。しかし周囲の中国人社会は、敵国である日本から来た日本人の母を決して受け入れることなく、毎日毎日辛い生活が続いていたそうです。そのうち戦場で父が戦死したという知らせが届き母は毎日悲嘆にくれたそうです。そして母も最後にはとうとう食べるものもなくなり餓死寸前で病死したのだそうです。

食べるものがないとき、お母さんは、子ども時代の日本の食べ物のことを子どもたちによくしゃべっていたそうです。T氏はそれをいつも聞いていたのです。そこにはいつもカマボコの食べ物があったそうです。 板の上に載った美味しい食べ物(カマボコ)の話──それはT氏にとっては、辛かった戦争中の生活と日本人の母の思い出だったのです。

お母さんの葬式の日、T氏は悲しくて 悲しくて、家に運ばれてきた棺桶の板の上に、夢中で一日中、絵を描いたのだそうです。もちろんお母さんが話してくれたカマボコの絵、日本での凧上げの絵など、それはすべてお母さんが語ってくれた日本での生活を想像の上で描いたものだったそうです。孤児になってしまったT氏と妹は、やがて施設にひきとられたそうですが、絵の上手かったT氏は苦学して、北京の有名な中央美術学校へ入学することができ、それから中国でも最もよく知られた国民的な漫画家になったそうです。


私は彼の話を聞きながら、涙をした。カマボコの話の裏にそのような辛い思い出が残されていたのかと絶句した。・・・・・「戦争の中で結ばれた中国人の父と日本人の母、変転する人生と彼の漫画家としての人生──私の頭をまるで走馬灯のように彼の話した人生の風景が回っていた。私はT氏に、東京から持参した梅干をお土産に手渡した。 「Tさん、これはカマボコではありません。梅干です」と言うと彼は笑った。そして彼が母から教えてもらったという日本の赤とんぼなどの童謡を思い出して一緒に歌った。
北京の夕暮れ、あたりはもうすっかり闇に包まれていた。



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脱原発は不可能なユネスコ。原発推進の国連諸機関について

2012/05/14 11:57

 

 

人類今、瀕死の状態に追い詰められている。人類は自然から生まれ出たが、自然を壊す唯一の動物だ。それも徹底して自然を壊している。人類は自然を壊し、人類を壊し、宇宙を壊す存在となっている。

人類の叡智をすべて信じることはできない。それはこれまでの人類の足取りをみればわかる。しかし驚くことに、国連を始め、国連の諸機関はすべて原発の推進を行っている。脱原発などの方向性は感じられない。それはIAEA国際原子力機関)がWHO(世界保健機構)と原子力に関する協定を結んだり、ユネスコ国連・教育・科学・文化機関)なども脱原発のような方向性を微塵も持たず、原子力の平和利用という路線を迷うことなく推進している。しかし、こうした路線を正さない限り、21世紀の環境政策は大きな破局に直面することだろう。

かって北海で何千頭も何万頭もアザラシが死体となって海岸に打ち上げられたことがあったが、それはかってソ連が古くなった原子力潜水艦を海中に投棄したことが原因であった。世界は明白に知っていないながらも、それを明らかにしていない。海中へ廃棄物を投棄を禁止するロンドン条約が出来たが、これは明白なザル法で、船舶からの廃棄物の投機は禁止しても、直接海岸から投棄するのは禁止していない。なんということだ。

フランスの原発再処理施設からは、海に突き出たパイプから廃棄物が投棄されているが、こうした方法はロンドン条約では禁止されていないために、英仏のドーバー海峡には放射性の廃棄物が垂れ流しで空前の汚染地域となっている。世界中はそれを知っていてもなんお手立てもしていない。その汚染水は海流に乗って漁場の豊かな北海に流れていくが、その近郊で水揚げされる魚の中にはオランダ製のさば(日本の普通のスパーでたくさん売られている)や缶詰など多数が日本の食卓を賑わしている。あなたも食べているはずだ。三陸海岸の魚だけが危ないのではない。

人類は、陸上で生みだしたすべての廃棄物は地に埋め、そして大部分は海へ捨てる。世界に存在している500基以上の原発の温排水は、低・中濃度とは言いながらも、生物を染色体から脅かす高濃度の放射性廃棄物を毎日、河川を通じて海洋に投棄している。原発事故を起こした福島沖は放射能の汚染が激しく、すべての漁業は禁漁となっているが、しかし毎日、世界中の原発から膨大な汚染水が海へ吐き出されていて、地球の海洋を循環している。

また海底からは、石油や天然ガスなどが無限に掘削され、それは海水を汚染し、海洋の生き物の生存を危うくしている。こうした深刻な状況の中で、イルカやペリカンが病気となり、海岸に打ち上げられれている。見つかった生物の死体はほんの一部だ。ペルーでは、カツオドリやアシカも見つかっているというが、原因を究明しようとしてない。だれもかれもが否定するからだ。しかしそれは水俣病のように、最初は猫などが病気となり死んでいくが、すぐに人間の子どもや健康状態の善くない人々に深刻な影響を与えていく。海が膨大な墓場となりつつあるのだ。

ユネスコは、脱原発に向けて、IAEAとは一線を画した路線を築くべし。そのためには国連を始め、多くの諸機関の機構改革と同時に、理念においても、大きな見直しを余儀なくされているのを知るべきである。

人類は今、宇宙最大の墓場を地球に作っている。



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東京湾の海底土のセシウム、7か月で13倍に


東京湾の海底土に含まれる放射性セシウムが、昨年8月から約7か月間で1・5~13倍に増えたことが、近畿大の調査で分かった。東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出されたセシウムが、河川から東京湾に流れ込んだとみている。同大の山崎秀夫教授(環境解析学)は今年4月2日、荒川の河口付近など東京湾内の3か所で海底土を採取し、分析した。深さ1メートルまでの土に含まれるセシウムの量は1平方メートルあたり7305~2万7213ベクレルで、昨年8月20日の調査結果(同578~1万8242ベクレル)を3か所とも上回った。

海底面から深さ6センチまでのセシウム濃度は1キロ・グラムあたり321~397ベクレルで、やはり8月20日の調査結果(同75~320ベクレル)を上回った。河川の泥にたまったセシウムが少しずつ東京湾に流れ込んでいるためとみられる。

(2012年5月14日07時26分 読売新聞)



 

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「識字は全体のこと」[ー大沢さんの識字学校のニューズレターから

2012/05/12 08:16

 

  2007年10月24日に亡くなられた大沢敏郎さん主宰  横浜寿(ことぶき)識字学校のニューズレター2006年5月12日第4470号、4471号) 

ちからにする寿識字学校  2006年5月12日 第4470号

「このところ、夏日(なつび)があったり、強い風が吹き続けたり、地震も続いています。先週は、お休みでしたので、5月最初の識字です。連休中は、だいたいお天気もよく、どこかに出かけた人、休みなく仕事をした人、ゆっくりとからだを休ませた人など、それぞれに、いい時間だったことと思います。ぼくは、たまっていた(放置していた)あれこれのことを、すこし整理ができました。板を買ってきて、本棚も、ひとつ、つくることができました。部屋の中が、いくぶんすっきりとしました。(頭の中は相変わらずゴチャゴチャです)。

5月6日だけ、東京、渋谷の国連大学で開催されている、「国際識字文化センター(ICLC)]主催の連続セミナー(全8回)の第1回に参加し、センター代表の田島伸二さんのお話と、タイにあるビルマからの難民(カレン族)キャンプでの図書館活動をしてきた渡辺有理子さんのお話を聴くことができました。アジア各地で、肌理(きめ)こまかで多様な実践活動をされている田島さんのお話、いつも敬服し、勉強になります。田島さんの最近の原稿”ヒューマン・リテラシーの理念とその活動について”(アジアウエーブ誌)をすこし引用します。途中からで、ほんのすこしで申しわけありません。

「・・・・そして、咄嗟に私は教育大臣が発言した識字に関し、ヒューマン・リテラシーという新しい概念を考えついた。「リテラシー(識字)教育とは哲学や方向性を持たなければならない。リテラシー(識字)とは、ただ単に読み書き計算ができるかどうかの技術や能力の問題ではなく、豊かな人間性を有し、普遍的な目的や内容をめざすものでなくてはならない。人を不幸にし、人を殺す識字がこれまでの歴史でどれだけ推進されてきたことか、そしてそれは現在も続いているではないか。文字によって表現される知識や技術は、人間の在り方全体に真摯(しんし)なる責任をもたなければばらない。識字とは人を生かし、争いをなくし、人間全体が信頼できる世界をつくるためにこそ存在するのではないか」と。・・・・(略)」

フランスの哲学者のシモ-ヌ・ヴェーユは、不幸な人間に対して、注意深くあり、どこか苦しいのですか?と問いかけられる力を持てるかどうかに、人間らしい資質がかかっている」と述べたそうだが、その問いかけは同じようにヒューマン・リテラシーの出発点でも立脚点でもある。ヒューマン・リテラシーとは「困っている人々に、どこがお苦しいですかと問いかけられることのできる力」-それは言葉や文字などによる表現力であるとともに、他人の苦しみの軽減のために、なにか自分にもできる具体的な行為(アクション)を作り出していける力である。

人間とは、時と状況が異なれば、だれだって例えようのない苦しみや悩みに追いやられるかもしれないが、ヒューマン・リテラシーのヒューマンとは、言葉における人間のありかたをただ頭で理解するだけでなく、なによりも言葉を実践に移していける実践的な行為を希求していきたいと思っている。インターネットの普及により、無限に情報が飛び交う時代において、認識よりも具体的な行為の重要性が問われる時代に入っているのではないかと思う」

この田島さんの文章、前後にたいへん重要なことが記されているのですが、ぼくも全面的に同じ意見です。「識字は、人間全体のこと」とぼくはこの間言い続けていますが、そのこととつながっているのではないかと思っています。この文章、大江健三郎さんの「定義集 節度ある新しい人間らしさ」(06年4.18朝日新聞朝刊)と重ね合わせて読みました。 ー大沢敏郎
このお便りはすべてルビがふってあり、識字学校の生徒さんの教科書となっているものです。大沢さんの識字に向けて、人を励ます情熱や理想や暖かさを痛切に感じました。「識字」は、人を励まし人間関係を作り出す力となるものですね。大沢さんのご冥福を心からお祈りいたします。

http://www.jinken.ne.jp/other/oosawa/ 書く力、生きる力 


 

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海は今、瀕死の状態に追い詰められている。

2012/05/11 09:45

 

 海は今、瀕死の状態に追い詰められている。人類は自然から生まれ出たが、自然を壊す唯一の動物だ。それも徹底して自然を壊している。人類は自然を壊し、人類を壊し、宇宙を壊す存在。これほど悲劇的で危険な存在はいない。


 

かって北海で何千頭も何万頭もアザラシが死体となって海岸に打ち上げられたことがあったが、それはかってソ連が古くなった原子力潜水艦を海中に投棄したことが原因であった。世界は明白に知っていないながらも、それを明らかにしていない。海中へ廃棄物を投棄を禁止するロンドン条約が出来たが、これは明白なザル法で、船舶からの廃棄物の投機は禁止しても、直接海岸から投棄するのは禁止していない。なんということだ。

フランスの原発再処理施設からは、海に突き出たパイプから廃棄物が投棄されているが、こうした方法もロンドン条約では禁止されていないために、英仏のドーバー海峡は空前の汚染地域となっている。世界中はそれを知らない。その汚染水は海流に乗って漁場の豊かな北海に流れていくが、その近郊で水揚げされる魚の中にはオランダ製のさば(日本の普通のスパーでたくさん売られている)や缶詰など多数が日本の食卓を賑わしている。あなたも食べているはずだ。三陸海岸の魚だけが危ないのではない。

人類は、陸上で生みだしたすべての廃棄物は地に埋め、そして大部分は海へ捨てる。世界に存在している500基以上の原発の温排水は、低・中濃度とは言いながらも、生物を染色体から脅かす高濃度の放射性廃棄物を毎日、河川を通じて海洋に投棄している。原発事故を起こした福島沖は放射能の汚染が激しく、すべての漁業は禁漁となっているが、しかし毎日、世界中の原発から膨大な汚染水が海へ吐き出されていて、地球の海洋を循環している。

また海底からは、石油や天然ガスなどが無限に掘削され、それは海水を汚染し、海洋の生き物の生存を危うくしている。こうした深刻な状況の中で、イルカやペリカンが病気となり、海岸に打ち上げられれている。見つかった生物の死体はほんの一部だ。ペルーでは、カツオドリやアシカも見つかっているというが、原因を究明しようとしてない。だれもかれもが否定するからだ。しかしそれは水俣病のように、最初は猫などが病気となり死んでいくが、すぐに人間の子どもや健康状態の善くない人々に深刻な影響を与えていく。海が膨大な墓場となりつつあるのだ。

人類は今、宇宙最大の墓場を地球に作っている。

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